秋の日に想う事

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  歯科医師なのだが正体不明の私はいくつかの仕事を掛け持ちしている。そのうちの一つが専門学校で基礎医学(生理学、薬理学)を教えること。

 大学生とは違い基礎学力が不足しているので理解しやすい講義をすることが難儀だ。
国家試験を受ける子たちなのでなんとしても学力を上げてやりたい。
私にできることはやったものの学生には通じず無力感に襲われ心底疲弊していた。

で、急に思い出したのは 今は亡き 学生時代の病理学のO教授だった。
講義開始と同時にドアに鍵をかけるので遅刻者は出席できない。講義は禅問答のようで難解、ノートはほとんど取れない。
それなのに 試験は筆記試験は問題が記述式で2題。1題につき50点。合格点は60点以上。
B4用紙にたった2題。それもただ、「○○について説明せよ」
さらに実習試験というのもあり 病理組織を顕微鏡で見て診断するのだ。それもプレパラートたったの2枚。やっぱり1題50点。
採点も厳しく 無駄な事や誤った事が書いてあったら正答にはならない。長ければ良いというのではなく簡潔明瞭に書くこと。
むしろ、ダラダラ書いたものは嫌われた。
科目を一つでも落とせば落第の学年であり 学生には本当に辛い科目であった。

学生60~70人のうち本試験で合格できるのは1~2人。再試験で10人程度。
再々試験、さらにさらに再々々試験くらいまで確かあったと思う。それでどうにか学生の80%が通って進級だ。あとは落第。

私はというと 社会人から大学に入ったこともあって経済的にも年齢的にも留年できないことから
けっこう一生懸命勉強したおかげで筆記は再試験で、実習試験は(マンマと)本試験で合格できた。
それでも 6年間の中では最も苦しい科目のひとつだった。

・・にしても一生懸命勉強したのにはもうひとつ理由があった。
病理学の一番最初の講義の日、前列に座っていた私を見ながらO教授が
「歳をとって入ってくるヤツは(勉強が)できないからジャマなんだ」とあからさまに言われちゃったから。
悔しかったのである。
それが教授の本心だったろうし、きっと「オレの講義、合格できるものならしてみろ」と言いたかったのだろうとおもう。

今、こうして自分が教える立場になるとO教授の素晴らしさがしみじみわかってくる。
教授職とは学生の教育だけしているわけにはいかず 他にたくさんの業務がある(らしい)。
で、学生をするりと合格させてやった方がなんぼか楽ちんなのである。落第させるのには膨大なエネルギーが必要だ。

今はわかるのだ。
あの試験問題が決して難しいものではなく病理学の本質を理解していればちゃんと解答できること、
禅問答のようであったあの講義は本質を理解させようとするものであったこと。
簡潔明瞭な解答の要求は生命科学の学問の厳しさを伝えたかったためであること。
それを理解しない、基準に達しない学生を臨床学(治療を学ぶ学問)の学年に進級させたくはなかった、ということ。

あの厳しい姿勢を貫かれた教授生活の後、退官されて亡くなって2年が過ぎた。
重い病気になられてもそれをあまり公にせず 自分が亡くなったことを大学の広報に伝えることを拒み、知る人だけがその訃報を知った。

卒業して20年も過ぎてからわかるなんて。
O先生のマネなんか私にはできやしない。
しかし O先生に学んでよかったと今しみじみ思う。

今日、登山家田部井淳子さんの訃報に接し、今は亡くなったその人がいてくれたことに感謝したい、
と思ったことなのです。

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by shi.mura | 2016-10-23 13:00 | Comments(0)